一人カフェ時間
同僚たちと鰻を食べた日、もう1軒、と言って近くのカフェでひとときを過ごしました。
夜遅くまでやっているらしいそのカフェはとても雰囲気が良く、お話に花が咲いている女性グループもいれば、一人でコーヒーを飲みながら読書をしているお客さんもいました。
私はもともとコーヒーが苦手で、あまりカフェには行きません。
お子様舌なので、苦味に美味しさを感じられないのです。
それに濃いコーヒーを飲んだあとは、なんだか胃がキリキリするような感じもするのです。
若い頃は、大人になれば、コーヒーの味が分かるようになるんだろう、と漠然思っていたのに、気づけば当時オトナと思っていた年齢はとうに越してしまっています。
いまだにコーヒーに対しては憧れがあります。
味の分かるオトナになりたい。
そんな気持ちはありますが、結局苦手意識が抜けずにあまり飲まないで、カフェにはあまり縁がないのです。
それに加えて、ケチなのです。
空いた時間にコーヒー片手に一休み、ということに、気軽にお金が割けません。
コーヒー一杯500円を優に越えます。
500円あれば、ちょっとしたご飯も食べられます。飲み物に500円をかけるのに、気が引けてしまうのです。
なのでスタバもほぼ行きません。
しかしながら、同僚たちと行った久々のカフェ、良かったんですよね。
そのお店ではケーキとチャイを美味しくいただきましたが、薄暗い照明も、食器やカトラリー一つ一つもとてもお洒落で、素敵な時間を過ごせました。
やっぱりコーヒーの似合う、素敵なカフェの似合う、大人の女性になりたいなぁ。
そう感じたんです。
そういうわけで、夫が飲み会の平日夜、一人でふらっと前々から気になっていた雰囲気の良さそうなカフェに行ってみました。
普段誰かとカフェに行くときは、何がしかの甘いものを絶対食べますけど、このときは勇気を振り絞ってカフェオレを1杯のみ頼みました。
あぁ素敵。
コーヒーカップもスプーンも。
伝票に乗せられたサンタのスノーボールも。
カフェオレは…思ったよりも濃い(=苦い)。
かっこよくはない、と思いつつも、お砂糖を入れていただきました。
一人でまったり、ノートに書きものをしたり、落書きをしたりしながらぼーっと過ごしました。
カフェオレ1杯600円。晩ご飯が食べられる金額です。発想がドケチです。
あぁ贅沢・・・。
さて、そのときふと思ったんです。
そのお店には、壁にたくさんのコーヒーカップ、ティーカップがディスプレイされていました。
ロイヤルコペンハーゲンのお皿も並んでいました。
それらが目に入ってきて、眺めていて、わたし、食器が好きだなぁ、と。
実家には、お客様用のカップ、というのがありました。
いつもは食器棚の右側の方(日常使いは左側の方に置いてあった)に置いてあるけど、たまーにお祝いのとき、いいケーキを買ってきたときなんかは、その特別なカップでお砂糖をいっぱい入れた紅茶を飲んだものです。
そういうときのワクワク感がわたしは子どもながらに大好きでした。
たまにしか使えない、綺麗でおしゃれなカップ。大事に恐る恐るお茶を飲みました。
使い終わったら、食器棚のガラスの後ろに整然と並べられる姿も好きでした。
自分の家にも、実家からもらってきたカップがいくつかあるけど、うちの食器棚は中身が全く見えないタイプです。
そういえば、家を建てたときに、中身が見えなくて寂しいなぁと思っていました。
良いカップは、目に見えるところに置きたい、とお店のディスプレイを見て思い直しました。
そして、カップも少し買い足したいなぁとか。
そう考えていたら、少しわくわくしてきました。
カフェって、こうやって、ひとりであれこれ考えられる時間が作れる場所なのだなぁと感じました。
家で一人でぼーっとしていても、なかなかこうはいきません。
洗練されたおしゃれ空間の中で、感覚が研ぎ澄まされて、いろいろ考えが巡らせられる。
カフェで仕事をする人が多いのは、そういう理由があるのかもしれません。
コーヒー1杯500円も、その空間にも価値があって、代金をお支払いしていると思えば、高くはないのかも。
でも、やっぱり胃はキリキリ痛くなりました。
今度からは、無理せずコーヒーじゃなくて、紅茶を飲もうかな。